本を紹介し、近代文学・現代文学・海外文学の感想を書きます。雑感も書きます。

海の中で息をして

近代文学、現代文学、海外文学の感想を書くブログ

人生に意味はない

人生の意味をずっと考えてきた。

 

私はなぜ生きる?何のために生きる?何をするために生きる?どうやって生きたい?どうやって死にたい?

 

現段階での答えは、人生に意味はない

 

私はこれをするために生まれてきた!なんて劇的に生きる人生、悪くない。

 

今は妻(夫)がいて、子供がいて、この幸せを守るために生きている、悪くない。

 

私はこんな素晴らしいことをして世界を平和にした、悪くない。

 

私の場合はどうだろう。

このために!と目標を持つのもいい、現状を守るのもいい、世界に、社会に、地域に貢献するのもいい。

 

でもそれで私は本当に満たされるのか不安だ。根源的なところは満たされない気がする。なぜなら、自分の根源から湧いて出たものではなく、上記の生きる意味は後付けで社会から与えられたものだから。

 

根源的なことを考えたときに、何かをしたい!という欲望は全て社会からの後付けに過ぎないことに気がついた。

 

結局人間は、死にたくないから生きている。生きるために生きている。そこに意味も理由もない。生きるために社会から存在を認められる必要があって、社会貢献をしたりする。

 

生きることに意味はない。だから根源的には、人生に意味はない。

 

意味のない人生をどう過ごすか。

先のように意味付けをするのもいい、けれども、意味付けをしなくたっていい。味のないまま生きたっていい。

 

味のないまま死ぬ人生もまた、一つの人生だ。

 

 

私はとりあえず、死ねないから生きている

 

 

武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり

"武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり"

 

死ぬ気で生きてみろ、ってことらしい

 

死ぬ気で頑張ってみても上手くいかないことばかりだし、頑張ったことすら評価されずに、むしろ頑張ったことで評価が下がることもある

 

真っ直ぐに進むことは、正義ではない?

ひたむきに頑張ることは、正義ではない?

 

頑張りが足りないって、どこまで頑張ればいい?死ぬまで?

 

じゃあ、頑張らずともさっさと死んだらいい

 

 

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

カズオ・イシグロ氏は2017年にノーベル賞を受賞した。原題が「Never let me go」で、なんとなく面白そうだから入門として買った。ノーベル賞受賞者だけある、そう感じる作品だった。

 

この作品は是非とも前知識、ネタバレなしで読んで欲しい。映画の予告編、本の裏表紙、あらすじなどの一切を読まずに、書店やアマゾンでズバッと買って、一気に読み進めることをお勧めする。

 

以下の感想もネタバレは無いけれど、内容が少し含まれているので読後に読んだ方がいいかもしれない。

 

 

 

読み始めてすぐは、わけがわからなかった。単調で平凡だった。カズオ・イシグロ氏は物語のヒントを少しずつ与えていく手法が得意らしい。まんまと嵌められた。ヒントが与えられる度に物語が繋がっていく快感。次々に世界が開けていく。スポットライトがあちらこちらに光を与え、物語をくっきりさせる。

 

光が当たって見えたものは、暗闇だった。世界が開ける度に暗闇の存在は光で強調される。暗闇は動かず、ただ存在する。暗闇は光よりも強く、暗闇を放つ。スポットライトに照らされた暗闇が照らされるごとに大きくなるのを、ただ見つめることしかできない。

 

 

この作品の面白さは、2つある。

 

1つ目は、「物語の全貌が解き明かされていく楽しさ」

 

2つ目は、「吐きそうになるほどの嫌悪感」

 

全貌が明かされることを期待しながらページを捲ると、ジワジワと嫌悪感が足元から胸、喉にこみ上げる。嫌悪感は次第に満たされ、口から溢れる。物語が明かされるたび、楽しみながら嘔吐し続けるのだ。

 

 

素晴らしい点の1つに、心情表現の緻密さがある。

 

物語は基本的に回想である。回想中には、口喧嘩、内輪揉め、グループの不和が山ほど描かれている。相手が何を考えているか窺ってみたり、相手の気持ちを勝手に想像して病んでみたり、相手によって態度を変えてみたり、心の中と違うことを言ってみたり。発言の際の心の動きが、回想中の自分と現在の俯瞰できる自分との二視点で描かれている。あのときああしておけばうまくいったかも、いや、これがあったからうまくいかなかったかも。なんて、人間臭さを感じさせる、緻密な描写が多く描かれている。

 

人間の生き方、生き様を大いに考えさせられる。私はこれからどう生きよう。

 

暗い気持ちでゲロを吐きたいあなたにおすすめ。

 

 

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

 

山崎ナオコーラ『可愛い世の中』

付き合うことは、自分と相手が違う人ってことを知ることだ、みたいな文を読んで、なるほどなぁと思ったことがある。自分が好きなことが相手も好きとは限らない。それに気づくまで、ちょっと時間がかかる。

 

山崎ナオコーラさんの作品で、表紙がシンプルで、タイトルが目につきやすくて、内容が面白そうだったから買った。金銭感覚のお話、って書いてあった。最近浪費がちな私にムチ打ってくれそうだった。でも、お金を使って失敗したって何か学べれば有意義なお金の使い道だと言えるだろう、みたいな雰囲気を感じてしまって、あんまり金銭感覚にはムチを打たれなかった。そのかわり、他のことを教えられた。自分を持つこと、人に自分を理解しようとしてもらわないこと。

 

ブレるな、自分を持て。なんて話を聞くと難しくて、どの口が言ってるんだ、って思う。自分を持ちすぎる人は周囲から浮く。自分の意思を表明することは、私と貴方とは違うという現実を突きつける。同一性を好みがちな私達は違うものは嫌いになる。でも最近、変わってきている。多様性とか異文化とか、違うものを違うと受け入れること、が出来るようになってきている。だからこそ、自分を持つ、なんてことが出来る。

 

自分を持つときには、自分を持つとは何かを理解しないと、傲慢になる。本を読んでそう思った。

 

人に自分の意見を押し付ける、自分のことを理解してもらう、なんて到底出来たことじゃない。そのことをもっと自分自身が理解した方がいい。人は自分が思わぬところで自分を理解する。こうありたいと言ったって、へーそうなんだ程度にしか思われない。

 

自分を持つことは、意見を通すことでも、相手を否定することでも、思ったことを全て言葉にすることでもない。自分自身に質問したときに、しっかりと答えることだ。自分を持つことは、人に自分の意見を押し付ける時に正義の剣として持つものではない。相手の意見を理解して、自分に問いかけてみる。相手の意見に対して、自分なりの答えを持つ。沢山の答えを積み重ねていくことが、自分を持つことなのだろう。

 

主人公は自分を持っているように見えた。しかし、主人公は、答えを持っていなかった。自分自身の問いかけに対しての答えを。答えがないことは、曖昧でぼんやりとしていて、恐怖だ。物語をなぞっているとき、僕は恐怖していた。もやの中を進む車に乗り込んでしまったようだった。

 

警笛を鳴らしながらもやの中を進むのも、ひと月に一回くらいならまぁいいだろう、と思った。

 

 

可愛い世の中 (講談社文庫)

可愛い世の中 (講談社文庫)