モリエール『人間ぎらい』
戯曲には、喜劇と悲劇があるらしい。一般的には『人間ぎらい」は喜劇らしい。あとがきによると、喜劇を悲劇にまで掘り下げた作品らしい。
主人公のアルセストは、正義を貫く者である。事の正しさ、自分の気持ちを重んじ、他人の気持ちを顧みない。自分の気持ちに素直な青年。そういう印象を受ける。不平等、不条理に怒り、断固として立ち向かう。
この作品は、喜劇らしい。何が「喜」なのか。自分の意見を曲げずに正義を盾に社会に立ち向かう、無謀さ、思慮の浅さ。それが「喜」らしい。
どうやら僕はアルセストらしい。彼に共感できて仕方がない。アルセストが周りの人間を嫌いになる。怒る。当然ではないのか。腐った司法。権力、多勢に従うつまらない者。嫌いになって何が悪いのだ。それを喜劇だとする1600年代のフランスの多勢の姿が伺える。
太宰治『走れメロス』は誰もが知る文章だ。この作品は、セリヌンティウスのために走るメロスを笑い飛ばす。橋を壊し、山賊を送る。疲労回復の清水は細菌塗れ。暴君ディオニス王に、物語は味方する。
僕の中で、この作品は悲劇だ。女を愛してしまった故に、素直な正義感の強い青年は物語から虐げられる、悲しい物語だ。
『人間ぎらい』という作品名につられて読んだが、僕と同じように人間ぎらいな人は読んでみると良い。主人公以外の人間を見事に嫌いになれる。
文章が古く、手紙の文面などはさながら古典であった。訳の工夫ではあると思うが、中々に読みづらかったので、購入の際には新潮文庫(内藤 濯訳)以外の訳本も検討すると良いと思う。